(いとどころ)

自ら縫った装束などの紹介したページです。
製作過程や実際に着てみたところなどを簡単に写真などで紹介させていただいております。


   

文献や資料、研究を基に試行錯誤しながら
自作した、いわゆる装束(平安装束)や
小物類の御紹介ページです

下の各項目からご覧いただけます


縫物
装束目録

     
下の目録をクリックしていただきますと御覧いただけます


 濃蘇芳 唐衣
(こすおう の からぎぬ)



蘇芳二重織物の    小袿
(すおう ふたえおりものの こうちき)
二藍 薄物 直衣
(ふたあい の うすものの の なをし)
平安時代(一条朝)の直衣の寸法と形状の復元をめざして〜


薄物 紗 直衣
(うすもの の しゃ の なほし)

直衣
(のうし)


狩衣
(かりぎぬ)白地雲花紋



狩衣
(かりぎぬ)

直垂
(ひたたれ)
直垂 その弐
 ひたたれ   その弐
直垂 その参
  ひたたれ  その参(衛門督編) 
直垂 その四
ひたたれ その四(左兵衛督編)

夏の袍 (うへのきぬ)
(なつのうすもののうへのきぬ)


二重織物の袿
(ふたえおりもののうちき))


裳
(も)
熱田神宮の遺品を参考として
平安時代の裳の考察と復元をめざして


袿
(うちき)
 袿  
  萌黄の(うちき)
袿
くれなゐの(うちき)
(平安時代風袿(うちき)復元)
袿
朽葉のうちき



袙(あこめ)
山吹の単(ひとえ)の袙(あこめ)

紅のひとへの袙(あこめ)
くれなゐの ひとえの あこめ

下襲
(したがさね)


くれなゐのひとへ
 表袴準備中
袴類
 (平安タイプ下ばかま)

萌黄の指貫 
(もえぎ の さしぬき)
平安時代の形状の復元をめざして

指貫
(さしぬき)
指貫 その弐
(平安時代風 さしぬき)
  
青鈍の指貫
(あをにびのさしぬき)

袋・小物類



装束縫製に当たっての私的見解


いわゆる「装束」について、「はじめに」で述べております通り、当サイトでは「現代の有職」と概念が異なります。
「考古学・服飾史的・服飾構成学的」に平安に近いものをと考えているからです。
(但し、研究途中、単に縫製技術の練習のためという理由で当時のものと形が違うと確信していても敢えて現代の形にしているものもあります。)

個人のサイトですので、そのまま管理人の主観による見解を公開すればそれでよいのだとは思いますが、受験勉強などの資料などとして、たまたまこちらにたどり着かれたりした場合などに誤解をされてしまいテストで点が取れなかったなどということがあっても責任を感じてしまいますので(笑)、少々注意書きをさせていただきます。

「有職」や「装束」の語義、また、その良し悪しについて、当サイトでは「平安時代」の装束を目指す(国風文化の実践)という観点から、
「当時に近いと考えられるもの」、または「当時の製作環境に似た状態で出来上がったもの」「当時の制に従ったと考えられるもの」「当時の形に近いと考えられるもの」を「良いもの」「本物」と位置づけることにしております。

現代では「室町時代以、さらにその後江戸時代に研究されて確立された「有職」に沿って作られたもの」を「本物」「良いもの」と解されている部分があります。

現代のそれは、それとして、それで素晴らしいと思います。
しかし、平安時代はそうではなかったということは、現在残っている資料からも明らかです。

平安時代の遺品がないので実態がわからないという説も見たことがありますが、中尊寺にもわずかながら残っておりますし、正倉院や彫像などにも当時の服飾を知るてがかりはそれなりに残っております。

それによって、私個人としてはかなり実態に近いところまでは明らかにできると考えております。
平安時代に限らず、日本では、古来着るものは、日常のものとして、自分または身近な人に縫ってもらっていたのです。そして、何より着る人が「毎日」それらの「装束」を当然着ています。これはとても重要な事実です。
そして、主人のために着るものを縫うという風習?はつい最近までごく当たり前のことであったことは周知のことと思います。

そういう風習や日常の生活様式こそが、土台になっているということを忘れてはいけないと思うのです。つまり、誰が縫ったものでも、また、少々のつくり、処理の違いなどは遺品などから見ても「本物か中級品かどうか」ということとは関係ありません。

現代では絹か化繊かなどの素材を過剰に問題にすることもあるでしょうが、本来の目的「着る」「毎日着て生活をする」という点にあまり影響のない場合は問題ではないと考えられます。  楽器などの場合でしたら音を出すという本来の目的に「素材」は深く関わりますから気にしないわけにはいきませんが。


装束が「衣服」である以上、当たり前ですが、
「毎日着る」という本来の目的が果たされ得るものであり、
日常の身近なものである
ということが最も大切だと考えられます。


 現代の生活環境や概念から、現代の和服や装束に対する「装束特別主義」的な認識から離れられずに、無意識に「装束は特別」というような先入観をもって平安の服飾を考察し、語るのは最も問題だと思われます。歴史上の文化を追及するには、現代の固定概念から離れることが大事だからです。

平安中期前後の古典文学を読む限りでは、当時の彼らの装束に対する良し悪しの判断は「綺麗かどうか。色などのセンスが良いかどうか。見栄え良く(綺麗に)仕上がっているか。」というような、私たち現代人が普通に『洋服』に対してチェックをいれているのと同じです。当時の人の装束に対する「認識」は、現代の我々の「洋服」に対しての認識とほぼ同じなのです。

ただ、重要なことは、室町時代以降に完成した「有職」等を単純にそのまま平安に当てはめて平安の服飾を考察するというのは極めて乱暴なやり方であるということです。
文化を研究する上でもっとも大切なことは、各時代を混同せず、それぞれの時代の感覚・認識に近づこうとする発想だと私は考えます。

もちろん身分等で文化も異なる時代でしたから、念のため追記させていただきますが、こちらでは「貴族階級文化」の追求をメインとしています。(いわゆる「平安装束」を着ていた階級ということです)貴族階級の文化を賞賛すると、そのまま貴族階級の身分制度を賞賛していると勘違いされる方がおられますので、敢えて書きますが「文化」についてのことです。

したがって、当サイトではいわゆる装束の「現代の有職」等は平安をひも解く「参考」にはしますが、平安のそれとはかなり性質が違うと考えています(そもそも平安で使用している『有職』は語義自体が違いますし)ので、現代いわれている「有職」とは当てはまらないものや、それに全くとらわれない方向でまいりますので、そうした観点で御覧ください。

もし、そうした観点でお気づきの点やご指摘、発見等があれば、ささいなことでも是非是非お便りをお寄せいただければ幸いです。


          TOPへ