今回は、「直垂(ひたたれ)」を製作することにしました。
相撲の行司さんの衣装や雅楽の楽人さんなどの衣装として知られている
直垂ですが、この装束は、私のサイトの趣向と少し趣が異なるので、
もともと製作の予定では製作の予定はありませんでした。
しかし、「花見の宴」を親しい友人達と催した際(もちろん装束で(笑))に、
友人の一人が
「いにしへがよききはの御衣のめでたきことこそさらなれ、
いとめでたききはにはあらぬがきたるめる衣もはたをかしきことあらむとぞ覚えはべる」と
言ったのです。なるほど。確かに。
現代ではかなり人気の衣装でもあります。
服飾構成の観点や今後の研究の資料になればと思い、早速資料を集めて
製作することにしました。
直垂と素襖、大紋といった類の基本的に同じ構成の装束は、
胸紐の形や素材や裏地の有無などでその名前が分かれているようですが、
今回の私の製作した「直垂」の定義は「服飾構成」という点にのみ注目しました。
従って素材や、胸紐の素材、裏地の有無(「構成」と若干の関係がありますが)などは
全く問題としませんでした。現代では様々な違いによって細かく分類され、定義づけがされています。
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まずは、製作時の楽しみのひとつでもある布選びです。
どうせ直垂自体がサイトと趣向が少し異なってしまうならばと構成や縫製の研究のために、
NHKの大河ドラマなどでも使用されていた「片身替わり」という右と左の身頃で色の違うものを製作することにしました☆
紋は同じです。
破れ菊花菱紋です。
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どの時代の直垂の遺品を参考にしようかと迷いましたが、やはり平安に最も近い時代などがより今後の参考になるだろうと考え、
構成について「伝護良親王御下賜鎧直垂」を参考にしました。
その他に鎌倉時代製作とされる幾つかの絵巻などを調べ、
菊綴じをつけず、胸紐などの様子も絵巻、
さらに室町時代の遺品などを参考に考証しました。
まず袖が縫い終わったところです。
今回は構成や縫製を研究する目的でもあるのであえて端袖と袖で紋を合わせてみました。 |
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伝護良親王御下賜の遺品にはついていたと考えられる、
裏地をつけるかどうか迷ったのですが、絵巻や後世の遺品には「直垂」と伝えられるものにも裏地がついていないものもあることから、あえて「裏地なしの直垂」ということで、裏地なしにしました。
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実は、今回「最もタブーであった方法」を実践して
しまいました!
なんと、「ミシン」を使ってみたのです。
実は、これまでミシンを使えなかった私は、
オール手縫いで装束を製作してきました。
手縫いでなくては意味がないとかそういう発想からではなく、「ミシンを使うとかえって曲がって縫ってしまう」というアナログな私の必然性からこれまではすべて手縫いでした。
私はいつも装束を縫ったり調度を作ったりする時に
「現代の科学技術をどう利用するか」について「程よく」かんがえるのですが(笑)、
「平安貴族ならばどちらを選ぶか」ということを第一に考え、
次に「今回の研究にどう影響するか」を考えます。
その結果今回は「ミシンが使えるようになろう」という目標が重要と(笑)考えました。
今回のこだわりは、萌黄の布には萌黄の糸を使い、朽木色の布には紅の糸を使用して対照的な仕上りになるようにしてみました。折角片身替わりなので。
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裏地をつけないと、
縫い目などがすべて見えるところに気の抜けない恐ろしさがあります(笑) |
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襟付けはいつも
油断ができず、また、
油断していなくても
やり直さなくてはいけないようなことになったりします(苦笑) |
上衣が出来上がりました♪
まだ、胸紐と襟の加工はしていない状態です。 |
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いつもなら、ここで「完成!!」と叫びたいところなのですが、
直垂は上下がセット・・・。袴が残っています。
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ヒダを作っていない状態の直垂袴です。
伝護良親王御下賜直垂の袴はヒダのとりかたが古い指貫と同様です。
古い遺品を参考に研究製作するとそれぞれの装束の共通点が浮かびあがってきます。
そうした発見も楽しみの一つです。
因みに、今回は左右で紋が対象になるように裁断・縫製しました。
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ヒダをとって、仕付けしてあります。
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←背縫いの裏側の布端の処理 |
襟も背縫い位置から色が変わるように襟の製作と
襟付けしました☆ → |
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すべての箇所が
がっちりと仕付けしてあるので、なんとなく変な様子に見えますが、全体の縫製は完了しました♪ |
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実は、袴を作るときに左右をうっかりと間違えそうになってしまい、冷や汗がでました・・・。
早い段階で気付いたため事なきを得ました〜。 |
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←
少々ご紹介の順番が前後してしまいますが、袴の腰紐についてです。
一般的に直垂の袴の腰紐は白を用いますが、今回変えてみました。
絵巻も白を用いているのがほとんどで、おそらく「毎日装束の彼ら」は汚れた手や雨で濡れてしまった手などで腰紐を日に何度も触ったでしょう。
いちいち色に染めた布で作ってたところで、頻繁に交換しなければならず、
間違いなく「もったいない」の精神のもとで、特に染色を行わないそのままの布を使って腰紐としたものと考えるのが当然だと思われます。
頻繁に腰紐の交換をする予定のない私は染色を施した(しかし共布ではない)布を使用することにしました。
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腰紐も縫製完了です☆
まだ、胸紐をつけていません。
また、袖と裾の「露紐」もつけていません。
絵巻を見ると鎌倉期に制作されたと
考えられる絵巻の直垂には、袖の露紐は描かれていません。
時代が下った室町頃の直垂からは
露紐が描かれていました。
より古い形態のものを作りたいので袖の紐は敢えてつけないことにしました。
袴の裾の括り紐は古い形態のものは、指貫と全く同様のようですので、
括り紐のつけ方は指貫と同じにすることにしました。
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最後の最後まで迷ったことがひとつありました。
「胸紐」です。
絵巻を見るとことごとく、現代と比べると、
かなり高い位置に胸紐がきています。
また、菊綴じの飾りなどもついていません。
どうしたものかと考えあぐねましたが、
紐は古式の高い位置に取り付けることにしました。
恐らくこの胸紐は活動的な彼らの襟元が
だらしなくなってしまわないような工夫だったのだと
考えられます。
こうして色々と古式を見つめながら製作していると
いつも気づかされることがあるのですが、
どれも一様に「活動的で機能的」だということです。
現代ではほとんど飾りとしてしか機能していないもの
でも、「当時は実用と飾り」を必ずあわせもっているのです。
「機能性的に不必要なものなどない」といっても過言ではありません。
したがって胸紐も絵巻などでは、かなり上の方で結んでいますが、
今回の完成の撮影では、紐がよく見えるようにするために
敢えて、結ぶ位置は絵巻よりは下の方にしました。
菊綴じなどの飾りは「鎌倉時代製作の絵巻にみられる直垂のように」
一切つけませんでした。 |
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衛門督殿が院の宿直(とのゐ)にさぶらった時に
ついでに直垂を着てモデルになっていただきました♪
ありがとうございます☆
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こちらの写真は背景を合成しております。
衛門督殿、御協力ありがとうございます! |
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