平安時代風 萌黄の指貫 
(平安時代の遺品を元に考察して復元した 【もえぎ の さしぬき】)第二弾!




 これまでも何度か指貫を復元模造したりしてきましたが、
さらに平安時代の形状に近づけたいことと、指貫は何腰持っていても
使い勝手のよいものなので、改めて資料や絵巻などを当たり
平安時代の形状になるように製作しました。

恐らく、これまでの研究では、平安時代や鎌倉時代の指貫の
腰紐は「指貫自体と同じ生地ではなく、白い別の布(恐らく毎日着る中で
最も汚れ、痛みやすいために、こまめに取り替えると考えられます)で
作っていたはずです。

このことは、中尊寺の指貫の遺品などからほぼ明らかだと思いますが、
今回は生地に余裕があり、私も毎日着用するわけではないので
同じ生地を使いました。





 


生地は、 最近もっぱら柔らかい生地を使うことにこだわっています。

着心地が格段にいいからです。

デメリットは、しっかり糊をかけていないので、汚れやすく、皺などにもなりやすいことですが、
やはり着心地重視でいきたいと思います。

そこは平安貴族の感覚を大切にしたいと思います!

製作過程は、これまでのとほとんど変わりませんので
少し省略します。

ただやはり、これまでの研究で完全にハッキリしたことは
一反の生地をちょうど使い切って、装束がひとつできるように
裁断されている。というまぁ、当たり前のことです。

ただ、その視点を持って考察すると、
どのパーツが後世になってあらたに取り付けられたかとか、
元々どのパーツが別の生地で作られていただろうとかが
かなりくっきり見えてきます。
 


完成して、紫の直衣に
萌黄の指貫を合わせてみました! 
 
   ←
白い狩衣と合わせて、
寺に詣でてみました♪

一日中着て遠出しました。
もちろん着替えもしません。

もちろんトイレも食事もこのままです。

こうした実践が一番大切だと考えています。

服飾の研究をするのに「その瞬間だけ着る」ことを前提としていては、機能性や問題点、その形状の根拠などが見えてこなくなってしまうからです。

古い絵巻の指貫と、この画像の指貫を見比べていただければ違いがよくわかるのですが、古い絵巻には、指貫のヒダがこの画像のようにくっきりしていません。

それこそ、毎日穿いているからこそだと思われますし、ヒダはあくまで装飾ではなく、実用のためのものだったのだと確信しています。


薄物の直衣に合わせて
今回の萌黄の指貫を着用し、
電車に乗って出かけたりもします。
 
 
このように、縫ったものを一日中着用して、
出かけたり、通常の生活をして実践研究を必ずするようにしています。
現代の生活様式ではなかなか困難な状況もありますが、
そういうときこそ、いろいろな発見があります! 
  

薄紫の直衣に、紅の衵、萌黄の指貫 姿です♪

扇も自作したものです☆

     
 





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