院の別当の君日記

水無月


水無月一日

御宴にとて別当小式部内侍さぶらひてまかでさせ給ひつ
月影に草踏み分けさせ給ひて山の庵に
行啓ありつるこそあはれなりけれ



水無月二日

中宮内侍の詠み給へる御歌など書きたる、
几帳の内の畳の上に置きてあるをみそかに
見たりつ  いとあはれなれば、
「院に御覧じ入れでは」とて
奉りつ
院、歌所に仰せたり



水無月三日

はた、山の庵にとどめさせ給ひて
遊びなどせさせ給ひつ



水無月五日

山の庵に上も下も集まりて管弦の遊びありとて
院にも行啓ありぬ
別当小式部内侍、院にさぶらひにたり
管弦し果てて後、夕涼みにとて
河原に渡らせ給ひて、過ぐさせ給ひぬ
朧月夜のいとあはれなりけるこそ
をかしかりしか



水無月六日

朝より雨降りわたる
中の江の少納言、院に宿直なむしつべきとて
夕さりつ方参るべきよし御文ありつ
右近中将もさぶらはむと聞こえつ



水無月七日

今の院におはしまさで、いまだ
烏山殿におはしましし時より、ことごとに
遊びなどし給ひける真木の君と申す姫、
はた、その背の君の参議にて、「千束の宰相」
と申すおはしたり
また、この宰相あなたの国めぐりたる人にて
渡辺の宰相とも申しける
この宰相、須田に殿新しくし給ひたるとて
院、忍びて渡らせ給へるに、
真木の君の御姉の君、御姉が背の君など参りて
いとめでたき宴にをかしき物語など
せさせ給ひておはしましぬ
暁ばかり出でさせ給ひて、院に入らせ給ひつ



水無月十日

昔の歌など御覧じて五月雨のつれづれに
ものせさせ給ひつ



水無月十二日

侍従より聞きしに
院、造物所に渡らせ給ひて、
右近中将の奉り給ひし玉、
「いかなりつる」など問はせ給ひにけり
調じたる者「ただいま、御璽にしなしたる
なかばにてはべれば」など申してけるとか
文字などめでたう彫りたるところにて
院にも喜ばせ給ふときけば嬉しきことなり



水無月十五日

右近中将、何浜とかいふ浜に楽に遊び給ふと
聞こゆれば、夕さりつ方、院、御覧ずとて渡らせ給ひつ
中の江の少納言、別当小式部内侍さぶらひぬ
いとめでたき遊びにこそありつれ
時少し経ぬるほどに、人々の護りかたむべしとて
巌の将監(しょうげん)、馬にて参りつ
形をかしくてあやしげなる「ほてと」といふなるを
聞こし召して、さぶらひつる人々にも賜りき



水無月十六日

見経博士、院に参りて啓し給ふやう
「この頃、院のわたりに『なます』といふなる
物の怪こそ見えて侍るめれ」
院、驚かせ給ひて、
「知るやうなる人に聞きて参れ」と仰せつれば
承りて、「さ侍り、あな、むくつけ」など
さる内侍に聞こゆれば
「その物の怪知りて侍り
あなたこなたにめぐりて
よき程の人を見むに
嫉みこそするなれ
局にも年頃出で来るぞいみじく侍る」
と言ひ給へば、「ことわりなり
ただ、いみじ」とのみぞ覚ゆる



水無月十七日

管弦の遊びありつるに
夜更けつるに
「近き野山に出でて、蛍見ばや
心あらむはさぶらへ」
などのたまへば
権少将、巌の将監などさぶらひつ
月もなき夜なりぬれば木々の様
いとおそろしげなり
蛍の里といふところに
おはしまし着きたれば
蛍飛び違ひたり
いとをかしき夜にこそ



水無月二十一日

時ならぬ野分のいとおそろしかりぬ
朝より風いとおどろおどろしげなりつるに
夜更けつらむも、止まで吹き渡れるこそ
心やすからざりつ



水無月二十四日

院、ものせさせ給ふべきことなどいと
多くておはしましつれば、
御忍び、御遊びなどのこと、
さらにえせさせ給はざりつ
二十三日、中の江の少納言より
御文などありと聞きつるものから
何のこととは知らず
はた、小宰相の君より
夜ごとに御文ありて
「例の音には出ださせ給はで、
忍びて出でさせ給ふことのみ多き
蛍の君は、その里をやは
訪はせ給はぬぞかし」と
ありつれば、まうのぼりて
「かくとなむ」と申しつれば
院、笑わせ給ひて
「『三日夜経て行かむ』とかへりごとせよ」と
のたまひつれば、
さなむ



水無月二十六日

造物所におほせたる玉の璽
調じ果てたるとて御覧じて
「いとめでたくなしたる」とて
禄賜はしつるとか



水無月二十七日

昼つ方、院、祓せさせ給ふべう
さるべき所へ渡らせ給はむと
せさせ給ひつるに
院の御覚えいとめでたき
内教坊女蔵人さぶらひ給ひたれば、
殊に舞のことなど
この女蔵人に問はせ給ひつつ
御自ら舞はせ給ひつるこそ
をかしかりしか
「細やかなる型など心得ばや
前に後ろざまに立ちて、
ともに舞ひつつは、見せよ」
とのたまへば、
この女君、院が御前に立ち給ひて
めでたきかたちなど
見せ奉りつつ舞ひ給ひつ
いとをかしきさまにこそ

夜も更けぬるに、
院に入らせ給ふより
小宰相の君
院に参りさぶらひて、
「ひとかたの三日夜経るめるに、
その里へ渡らせ給ふめれば参りつ」
と奉るべき狩衣さへもて
さぶらひしかば
わづかばかり院に
留まらせ給ふより
「さらば」と笑はせ給ひて
狩衣奉りて渡らせ給ひつ
内膳の君、これを
小宰相より文にて知りたりつめれば
車にて待ちてゐたるめり
小宰相の君、内膳の君さぶらひて
蛍の里に遊ばせ給ひたるに
右近の中将も渡り給ひて
いとあはれなる夜に
月かたぶくまでおはしましつ




水無月二十九日

院、蛍をばいと好ませ給へば
夜毎渡らせ給ふに
今宵は、小式部内侍、巌の将監さぶらひて
蛍の里にぞ渡らせたまひつる
巌将監、まめやかなる人にて
「夜も更けぬるに、山里には
物の怪もこそ出で来らめ
人々をば、かたく護り奉らむ」
とて大嶋とかいふ所より上りつる
大嶋の小舎人(とねり)、
下野の山の中に度らひしける、
山中の小舎人といふ二人ばかりひき率て
馬にてさぶらひつ
栗原、かむたちといふ君達なども
さぶらひつ
蛍飛びたる様、なほ殊にあはれなり



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