院の別当の君日記

皐月
                       水無月へ



平成十六年卯月十五日
  (旧暦)閏二月二十六日

院のとり集めさせ給ひつるめでたき御物ども、御物語、
御調度などを絵(サイト)などにせさせ給ひて、心にくき人には
見せさせ給はむとて、これまで局にてしなし奉りたりつるを、
この度、御物などあまたになりにたればとて別当に仰せたれば
承りつ
                        

院のわたりに八重の花、いとめでたく咲きたるに御覧じて、
ことごとにめでさせ給ふこそをかしけれ



閏二月二十八日(旧暦)

二十七日の夜も更けぬるに、
いと春めきたる夜なればとて

君達あまた院に参りぬ

よもすがら物語などせさせ給ひぬれば、
いと眠たげにおはしましたり      
院、ものせさせ給ふことあればとて
つとめて忍びてまかでさせ給ふに、
さぶらひて車のうちより大路など見やれば、
日もうらうらといとのどやかなるに、
美しき童べのありきまわりなどしたるが
親の手を結びて率ゐたるこそ、
鳥の子の鳴きつつ親待つやうなるに
あひておもしろけれ



<便宜上、以後は現在の太陽暦での日付にします
(今までは「閏」という文字がどうしても使いたかったので(笑))>



卯月十九日

朝は晴れてこそあれ、夕さりつ方
いと曇りて雨ふりなむと見ゆるに、
「小松野とかいふなるにわたらひしたるなどいふ、
賤しきが御門の外に参り来て
『院の内より常聞こゆる楽の音
のいみじううらめしう聞こえ侍る
いかがし侍らむ』など衛士にいひつめり」
と少将より聞けば、いと
心地悪しく覚ゆ
いといみじきことなれば、
院には聞こえさせで、
物の怪の業なりぬべければ
祓へしつべきまうけしつべきとぞ



卯月二十五日

つとめて、いと寒し
風のいと強う吹きわたりて、皆驚き騒ぎたり
二十四日、夏なるらむとばかりに暑かりつるに、
今日は院にも御袿など
ひき重ねておはします 
いと寒かりけるにや、
いつもよりは早く
驚かせ給ひて
「寒し、火桶もて参れ」
など仰せつる



卯月二十七日

雨のいたう降りわたりて、風もいとすさまじ
木々の葉なども吹き飛びていみじう恐ろしき様なり
院、うち見やりつつ笑はせ給ひて、
吹きて飛びわたる葉どもをば
「あな、をかしきこと 春、花の舞ふはさらなるものから、
今日は風の笛の音に木々の葉は舞ひたる」
とておはしませば、右近中将「御衣濡れもこそすれ」とて
制し聞こゆれども、「濡れむを詫びて舞見ずやは」とて
端近に出でさせ給ひて詠ませ給へる

袖ぬるる ことをわびずは 見る人も
         舞ふもかひある 春のながめは 



卯月二十八日

今宵、御忍びて遊ばせ給ふよし仰せありつ
経など納めたるにや、経の御堂あるとかいふなる所に
御自ら渡らせ給ひてむとて、夕さり、まかでさせ給ひつ
楽人ども具して、夜更けぬるまで遊ばせ給ひにたり



卯月二十九日

いと晴れたる日にて、暑きばかりに覚ゆ
木々の葉などいと青くて、花などもめでたく咲くに
ねぶたげにて居ておはしますこそをかしかりつれ



卯月三十日

中の江の少納言、笛いとめでたう吹くとて名に聞こゆる人なるに、
この夜はにはかに暑ければ、院はた、具してしなかはと
いふところに遊ばせ給ひにたり
夜風の当たりたるゆゑにや、にはかに、悩ませ給ひつれば、
右近中将参りてさぶらはむとし給へど、忍びてとのたまひつれば、
網代車にて向かへに出で給ひつ
院に入らせ給ふより大殿籠りたり
いみじきことにも覚えたり



皐月月立

晴れたるに風の強く吹きたれば、砂など飛びてつらし
「砂の舞ご覧ぜめともぞのたまふ」とて皆人
御格子参りて、とどめ奉りたり
この院ならではとていとをかし



皐月九日

夜毎物の怪の出づることありしかば、
院にも御なやみ深くならせ給ひにたり
卯月に参りつる、物の怪になりにけむ、同じむくつけき声
してのぼりきたりけり
上達部、殿上人宿直し給ふをりも
この物の怪の出で来つることありて、
いとどゆゆしさまさりぬ
いといみじきことにてうちてふずべしとて
さるべき召して、今宵御祈祷などあるべきよし
右近中将より聞こえ給ひつ
皆、心騒ぎてさぶらひ給ふ
なにによりてか、かくあさましきになりにけるぞと
恐ろしきこと限りなし
己が罪深ければこそ物の怪にはなりつらめ
ゆゑなき人、やむごとなきさへを嫉み恨み奉り
出でくることこそ
無下にあさましけれ



皐月十一日

物の怪調伏の事、右近中将より承りき
物の怪の使にや、老ひぬる怪しき二人ばかり出できて、
「物の怪の人の遊ぶを
憎むはことわりなり」とて軽く言ひ出だせば、
上達部、殿上人、皆「なのめなり」とて
聞かでありつめり
いとにくきことなり
さるべきことし果てて、
二・三月経てむに物の怪消えむとか
「など、少し早くは去なぬぞ」と問はせ給ひければ
この物の怪、いと罪深ければ、業多きにて悪しうも
強くはべりと阿砂利の言ふとか
疾く消えなむとのみ覚ゆ



皐月十三日

御悩み深くておはしませば、高野寺に詣づべしとて
右近中将、権少将など召して詣でさせ給はむとせさせ
給ふに、御心深くておはしますゆゑにや、
雲涌き出でて、寺の御仏多聞天など諸仏をば具して
院が程近くに現れ出でさせ給ひつれば、
あやしきことに、御仏をば伏し拝み奉らせ給ひぬれば
やうやう御悩みおろかになりおはしましつるこそ
いみじうありがたううれしけれ



皐月十五日

仰せつる御物が絵のことなど問はせ給ひたれば
御覧じ入るべう奉りつ
入るべき数、いと多かりつれば
中宮内侍に御使やり奉りて
すべきやうなど問ひ聞こえつ
けふは例の祭りにて
院、をかしき日なればとて
詠ませ給ひつる

人をこそ 訪はまほしけれ 名にし負ふ
         けふのあふひの 蔓頼みつつ 

  また
夜すぐして、後朝

あふひにも なほあかぬ身は なかなかに
        袖濡るる日の 数ぞまされる



皐月十七日

夕さり、権少将、右近中将参りてより宿直し給ひつ
古の遊びしたるを書きたる絵などあまた見て
物語したるに院しどけなくおはしまして
この異つ国の遊びの様、殊にゆかしなど
のたまひなどせさせ給ひて
空白みゆきけるこそ
をかしき夜なりつれ



皐月二十一日

時ならぬ野分の風いと恐ろしげにふきたりつ
御格子など閉めわたして過ぐしたりつるに
昼過ぐるほどに晴れて風などもやみぬ



皐月二十三日

中の江の少納言笛もて参りてさぶらひつ
この君の笛の音いとめでたければ
皆聞かばやとて端近に出でて聞きなどしたる
いとをかし
院、音を合わせて遊びせさせ給ひつるも
かたぢけなくあはれなり



皐月二十五日

別当に仰せし絵などのこと問はせたまひたり
いまだしに、なりにしものよりは御覧ずらむとて
局におはしまして御自ら
「それはかうせよ」などのたまひにたり
めでたきもののなるこそうれしけれ



皐月二十六日

いと暑うもなりにたり
院にも「扇もてまゐれ」などのたまふに
「今宵、右近中将さぶらはむとぞ」ときこゆれば
「これをばやるべし」とのたまひて、
右近中将のもとへやり聞えさせ給ひつ
蝙蝠に貼りぬべき紙なり
さて、右近中将参りて、
「いと暑ければ、夕涼みに遊ぶ絵にこそ」
とて奉り給ひつ
いと、めでたき絵にこそ

(この扇絵、絵所にはべり)



皐月二十八日

小式部内侍が局に渡らせ給ひぬ
笛など遊びせさせ給ひつるに、夜も更けぬれば、
物語などせさせ給ひて、空いと明るくなりにたれば
「あな、かかる程までは物語しつつ過ぐしつる」とて
かへりおはしましつ
この夜の物語、いとあやしき様にて
「魚のをかしき様」などのこと
小式部内侍の聞こゆるこそあやしうもをかしけれ



皐月月籠

風いと強し
昨日、左兵衛督、中の江の少納言より御文
おこしたりと院より承りしかど何の事とは
承らざりつ
はた、おほせたる院の絵のことなど
中宮内侍よりも御文にて、「とく見まほし」など
のたまひておはすなど承りつ

右近中将、いとめでたき玉得給ひけりとて、
奉りつるに、その玉にて院の御璽をば造りなすべきよし
造物所におほせごとありつ
御文字、院自ら書かせ給ひつ



水無月へ

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