右近中将物語





右近中将、少将と申しける時、
蹴鞠(けまり)の上手にて世に聞こえけり

花の宴にも、
この少将の蹴鞠のめでたければ、
院に召されけるにありけり

あまたの君達、
この少将には勝りぬべしとて
ものしたれどえ勝らざりけり

さて心ばへめでたかりければ
中将にはなり給ひにけり

二年ばかり経る程に、
院にて宴のありけるに
この中将、蹴鞠をば
御覧じ入れ奉るべしとて
参りけるに、さるべきしはてて、
夜さり、院をはじめ奉り、
君達あまた風香殿に
管弦の御遊びしたりけり
 
       
右近中将、
少しゑひ給ひにたれば、
鼓を持ちて、
打ちつつ遣水にめぐり給ひて、
蛍の飛び違ひたるを
見て何ともなく、

焦がれつつ 音にも出でずは こふ方に
       道照らしてよ 我告げてむに

そこは誰を恋ひてやかくは身を焦がすぞ

とひとりごち給ひて,
飛び違ひたるをば
追ひなどし給ひけり

端近に出でて蛍見たりける別当の君
聞きて、あはれと覚えて、言ふともなく
       

そことこそ かたしも分かね さみだれて
       あやめも知らぬ 恋の路かな

と口ずさみけるに、
中将、蛍を追ひて
この別当の君の居たりける西の庇近うまで
寄り給ひたるところなりければ
聞くともなく聞こえけるに、
いとあはれに思して

おもひには さそはれつつも このかたに
     あやなき身こそ ひきも寄らるれ 

とて、階より上り給ひて、
高蘭にもたせ給ひてゐ給ひにけり

別当の君、思はざりけることに、
恐ろしければものも聞こえで
几帳を隔てて居たりけるに
右近中将「つれなきことかな 声をだに」と
言ひ給へども、ものも聞こえざりけり
本意なきことに思して、
御簾を押しやり給ひて

「はしたなうなめきことにはな思しそ
 蛍の忍ばれで焦がるるに侍れば」
とて入り給ひけり

夜更けにける程、
君達いとゑひけるなかに、
右近中将居給はざりければ
あやしがりて

「右近中将はいづれにおはすぞ」

とて、こなたに求め来たりければ
右近中将
「暁もまだきに
 かひなくたたむ名もこそ
 明日明後日のほどにも」とて
しるしばかりに扇を置き給ひて
おとなう妻戸よりは出で給ひにけり

君達、西の庇の前つ方なる
遣水に右近中将をば見奉りければ
「かかる所に何しておはし侍る」
など問ひ奉りけるに、
「路に惑ふめる蛍には
『誰恋ひてやかく焦がれつつは惑ふ』
など覚えて追ひたりつるに
扇をば落として侍り
求めはべるにこのわたりには
え見出でずはべれば、
南庇にぞ」とて
渡り給ひにけり

風香殿に渡り給ひけるに
君達かくと申しけるを
聞こし召して

院、右近中将を召して
御盃賜はすとて
御前にさぶらはせ給ひけるに
賜りける御盃がうちには
歌かきてあるばかりなりける

短夜の 音に侘びつらむ 蛍火の
 色こと様に 見えもするかな 

「蛍の中将、いづ方へかあくがれ出でつる」
などのたまひて笑はせたまひけり

       

右近中将、いとまめやかなりける君にて
別当をばいとかしづき給ひけり

この中将、心ばせ有様並べてならず、
御覚えいとめでたかりければ
三位を賜り給ひけるものから
「三位中将」と申さるることをば
「いみじうかたじけなし」とて
人のさ申してむに答へ給はぬ
ばかりなりければ、
ことに御許しありて、
この三位中将をさ申さで
「右近中将」と
ばかり申しけるとか
  





       



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