院別当の君日記



弥生

卯月




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弥生六日

御馬には奉らばやと
思し召しつれば、
さぶらひける人、わりなきこともぞとて
うしろめたう聞こえけるに
聞こしめさで
手づから御手綱持たせ給ひて
駆けさせ給ひぬ



弥生十二日

西国にまかで給ひける
刑部卿ののぼり給ひて
参りたれば、
院、いと喜ばせたまひて
夜も更けぬるに
御物語せさせ給ひぬ



弥生十三日

この年、すこし寒ければ
梅の宴ものしたり

中宮内侍、女君、
いろいろの御衣ひき重ねて
いとめでたくおはしたり
中宮内侍、筝の御琴
弾き給ひたる様、
をかしきことたとへむかたなし
女君あはれにゐて
薫物して物語したりつるも
いとらうたげにあはれなり

按察使大納言、御直衣に
織物の指貫にておはしぬ

左近中将、権少将などさぶらひて
さるべき御聖もはた参りぬ

少し寒ければ、院にも
御衣ひき重ねておはしましつるに
にはかに雪の降りたれば
いとどあはれまさりて
「あなや、梅の宴に
雪の宴ともなりぬるかな」と
のたまひて興じさせ給へり
めでたさ、いふもおろかなり





卯月




卯月二日

さるべきことし果てて
心もとなう待ちわびさせ
給ひつることありつるに
小松野の物の怪
遠方には去にけると
老ひぬる僧の
衛士には伝えたるとかや
いと嬉しきことに
めでたがらせ給ひたり




卯月十日

桜花めでずはとて
例のことにはおはしませども
あからさまに忍びてまかり出でさせ給ひぬ
はじめよりわれはと思ひつる方々

右近中将、権少将
相川左兵衛督、小式部内侍
大嶋将曹、山中刑部大丞(ぎょうぶのたいじょう)
森陰陽大允(おんみょうのたいじょう)、
神部大蔵大丞(おおくらのたいじょう)、
宮の田の衛門大尉(えもんのたいじょう)
などさぶらひぬ

風の強うふきたれば
桜花もこそ散れとて
つらく思し召したる御心にこそあれ
いとめでたく咲きたるをば
御覧じて
「なほ、春の心地こそすれ」と
ひとりごち給ひたる様もいと
あはれなり



卯月十二日

御楽の宴にとて
奉りたる調ども、いと難き
調べにて、試みあまたたび
すべきとて
忍びて渡らせ給ひつ
中の江の少納言、さぶらひ給へり



卯月二十四日

御楽の宴あり
中の江の少納言、笛の音
いとよく調べ合はせて
院にもものせさせ給ひぬ
左兵衛督、小式部内侍
将監、将曹、
刑部大丞(ぎょうぶのたいじょう)
陰陽大允(おんみょうのたいじょう)
女君などさぶらひつ



卯月三十日

厚見命婦、里にありと聞こし召して
忍びて渡り給へり



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