院別当の君日記

平成十九年


長月 神無月



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長月一日

例の御所に盗人など
出でむとすらむなど
聞こゆれば
大蔵輔、刑部、左兵衛督など
あしたより門をばさして
まもりゐたるに
衛士もあまたさぶらひて
さて、少将着きにたり

昼少しすぎぬる程に
猪とかや熊とかやなどいふ
盗人出で来て
楽の遊びせばやとおもふに
鼓を得てむとて
盗みとりてむとしたれば
うち懲てうじてむとて
ものしたり
盗人、二人ばかりして
来たれば、衛士みなこれを
囲みてぞありつる

今を限りぞとて
うちてうじて
盗人、いにたるとかや



長月二日

紅の御衣(おんぞ)など
糸所にて縫ひはてにたりとて
御覧じてめでさせ給ひたり



長月四日

義将左兵衛督、とのゐにさぶらひたり



長月六日

野分のいとすさまじう
吹きにたればあさましきよし
うしろめたがりにたり
衛門督、野分あやうしとて
とのゐにさぶらひたり



長月九日

例の御所におはしたるに
検非違使参りて
調べめでたがりぬ



長月十日

衛門督参りてものなど
聞こゆるになのめのことありて
怒らせ給ひぬれど
本意なくわりなき申しざまなりにしよし
申しに申しあれば
御許しあり



長月十一日

臨時の除目あり



長月十二日

衛門督、左兵衛督とのゐにさぶらひたり



長月十三日

御船遊びに管弦などせさせたまはむとて
御打ちあはせなどせさせ給ふに
とみに御頭いたしとておはしませば
右近中将さぶらひ給ひて、小衛門召して
とかくもてなし給ひぬ



長月十五日

甲斐国大泉といふところに
いとめでたきいで湯ありと
きこゆれば
いつしかまかでなむと
思し召しためるに
つとめて刑部が車に奉りて
忍びて出でさせ給ひぬ
院宣旨、宿直(とのゐ)にさぶらひて
つとめて衛門督まうのぼりにたり
御車には
衛門督、刑部大丞
院宣旨、大蔵輔さぶらひぬ
中山道をば下りておはしましつきぬ



長月十六日

すき心めでたき人ども
忍びてまかでさせ給ひつるを
知りたるに忍びがたければとて
あしたより展久少将、義将左兵衛督
松村修理亮(しゅりのすけ)をはじめて
七重勾当内侍、平野の駿河の局
平井の陸奥君など女君もまかでて
さぶらひたり
萌木などいふ里にいでて
もの御覧じておはしましたり
夕さり、大泉なる出湯に
おはしましてやうやう日の
暮るるを御覧じてあはれがらせ
給ひぬ



長月十七日

いとめでたき谷などあるを
御覧ぜではとて
すこしいみじき道などおほけれど
徒歩より出でさせたまふも
つねならでとてをかしと見奉りにたり



長月十八日

少将とのゐにさぶらひぬ



長月十九日

例の御所におはしましたり
右近中将すこし程経て参りたるに
調べあはせてまかでたり
左兵衛督とのゐにさぶらひぬ



長月二十日

衛門督とのゐにさぶらひつ



長月二十一日

例の御所にて楽の御遊びあり
七重勾当内侍、院宣旨など
女君などもあまた調べあはせあへるも
いとをかしかりつ



長月二十三日

御船に奉りて
宴あり
楽の御遊びなどせさせ給ひつ
波高きほどなどもありて
うち驚かせ給ひたるもいとをかし
うるふ衛門督、義将左兵衛督さぶらひて
調べいとめでたう合せたり



長月二十九日

海鳥といふところにて
楽の御遊びあるに
忍びて御渡りあり
七重勾当内侍などいとめでたう
調べあはせたるを御覧じて
いと興ぜさせ給ひたり
旭左大臣などおはして
調べあはせ給ひたり

展久少将、衛門督
左兵衛督など君達あまたさぶらひぬ

宴はててのち、かへりおはしまさむとて
御車のほど、歩かせ給ひたるに
衛門督、少しわりなきことどもなど
松村修理亮に言ひて、いと苦しげに
うち侘びぬるさまを御覧じて、
いみじきことかな、今宵院に
修理亮をば率て参れと
仰せたれば、
少将、衛門督さぶらひて
松村修理亮ぐして、とのゐに
参りにたり



神無月

神無月二日

院が御むまにいとあやしきわざしたるさまありと
聞こし召して、いと怒らせ給ひぬ
検非違使召して、夜更くるほどなど
きびしう見ありくよし仰せたり
御むま、灯たやさぬわたりに
移したり
げにあさましき輩こそにくけれ



神無月七日

楽の御遊びの宴などの
試みにとて
川崎といふわたりにおはしましたり
刑部大丞、衛門督さぶらひたり



神無月十日

刑部いとむくつけう
なのめにわりなきことども
申して、あしとも思ふ心なう
ものすべきをばうちすてたるを
聞こし召していと怒らせ給ひぬ

七重勾当内侍、院のとのゐ
に参るとてせうそこあり
今参りなり



神無月十三日

小衛門さぶらひて
山の里におはしましぬ
つくし弾正弼、大蔵大輔
院宣旨などさぶらひて
秋の山のさまなど御覧じたり
あはれなり

大蔵大輔、心わびたる
ことありとて仔細を申すやう
武蔵丞のなのめに
ものしたるをば
忍び難しとて申しはべりなど
言ひたり
ことわりのこと多ければ
さらなりときこしめしたり
武蔵丞、あはれ知らぬほどにて
むげなり



神無月十四日

刑部いとあさましうわりなければ
位、司とらるるべきよし
仰せたり



神無月十五日

白河の菊池といふなる君
いとめづらかにめでたしと
聞こし召して、いと歳若けれど、
司たまはるなり
陸奥守(むつのかみ)にぞなりにたる



神無月十六日

山の中の何とかといふ
いとむくつけくなりにしものの
謀りてものせむとあさましう
思ひたるを
ゆめゆるすまじとておはします
 
身をつくしの弾正、秋の御渡りの事
まうけし奉りたるよし申しにたり



神無月十八日

衛門督、とのゐしたり
畠山大納言殿より御文あり



神無月二十日

七重勾当内侍、とのゐしたりぬ
今参りなり



神無月二十二日

武蔵国目、もの申したきことあり
承りたき事ありなどかまびすし
院、いと怒らせ給ひつ



神無月二十五日

神戸大蔵大輔より山の物の怪
夜ふくるほどにものなど言はむとて
大蔵大輔がもとにせうそこせむずらむなど
言ひたるとかや
山の物の怪、いとあさましう
むくつけき声にて人を謀りて
あやしきわざしたりつるを
えとどめずなむあるなど
いへば、せむかたなしとて
大蔵輔さるべきことを申して、
君達、つかさのおさなどこれを
調伏せしむべきむねこころあはせたるなり



神無月二十七日

楽の御遊びあり
衛門督、義将左兵衛督などさぶらひて
いとめでたう調べあはせたるに
音のいとよくきこゆれば
人々歌ひなどしたるこそ
をかしけれ



神無月二十八日

院宣旨の君、
真言などもて参りて
あやしき山の物の怪など
調伏すべしとて
文に真言など書きて
やりつなど申したり



神無月三十日

義将左兵衛督、駿河の局
とのゐにさぶらひぬ



霜月



霜月二日

管弦いとめでたうする祭あり
上下おしなべていとめでたう
調べあはせたり
院ものせさせ給ふに
少将、義将左兵衛督、いと
あはれに調べあはせたり



霜月四日

管弦の事、三日やまで
したりつるに
右近中将もおはして
をかしげに鼓を打ち給ひにたり
院に仕る人あまたさぶらひぬ
展久少将、うるふ衛門督、
義将左兵衛督、身をつくしの弾正弼(だんじょうのひつ)
神戸大蔵輔、院宣旨など
参らざるなし
真栄田勾当内侍、藤相模など女君もあまた
いとめでたう調べあはせたり



霜月5日

勾当内侍、いとよくものする
君にしあれど、
少し心あきたるにや
ものすべきことあやまりて
したりければ
あやしき輩いとさはぎて
弾正弼に文やりて
いとあし、かうするは誰ぞ
祭りの後すさまじきはにくきわざなり
などあさましうののしれば
聞こし召して、
勾当内侍、あやまてることども
ありとこそ覚ゆれど、さもののしりて
あさましう言ふことにはあらじ
とのたまひて、沙汰あり



霜月六日

内教坊女蔵人より文ありて
二十一日に管弦、舞などあるに
御覧ずるやなど
ことに心におきておはしませば
文御覧ずるより
行きてこそ見めと
御かへりごとあり



霜月七日

衛門督、とのゐにさぶらひぬ



霜月九日

義将左兵衛督、とのゐにさぶらひぬ



霜月十日

宴ありとて忍びて例の御所におはしましたり
ひひとひをかしき宴にて
調べあはするも
物語するもあり



霜月十二日

なに山とかいふほどに
忍びておはしまして、
大納言殿、はたおはして
物語せさせ給ひぬ
めでたき衣のことども
恋のことどもなど
をかしき夜なめり



霜月十五日

山の屋に人あまたありて
楽の試みなどするところあり
この頃、このわたりにいと
あさましき盗人ありて
時刻むものなど盗みたるよし
きこしめして腹立たせ給ひぬ
この盗人見たりつる人ありとて
問はしめたるに、
亜米負徒といふ盗人なりと
見ける人の申したれば
さるべくおほせたり



霜月十六日

金澤といふところに
御渡りあるに
つとめて出でさせ給ひぬ
菊池陸奥守、とのゐにさぶらひて
右近中将、陸奥守、院の護り仕りたり
展久少将、潤衛門督、
義将左兵衛督、神戸大蔵輔、
身を盡の弾正弼(つくしのだんじょうのひつ)
松の修理亮(しゅりのすけ)、
院の宣旨、みは(深端)の平井など
君達、女君さへあまたさぶらひぬ

例のにはあらで
いとものめかしき御渡りなり
神仏の御しるしにやあらむ
雲つ上をば天
飛行(ひぎゃう)しておはしましぬ

金澤に着きおはしまして
いとめでたき聞こえあなる
苑など御覧じたり
夜御殿、大蔵輔、衛門督とのゐにさぶらひたり


霜月十七日

野々何とかといふ所に
おはしましつきたり

調べいとめでたう合せて
聞く人涙ながさぬ人なしなどいふ
紅井倶輪といふなる人
参りさぶらひて
外つ国が調べなどまめやかに
申し伝へたるはいとをかしきことなり
毛爾夜田微意摺利井などいふも
いとあはれに調べあはせたり

夜さり、国々より参りさぶらひし人ども
調べ合せたるに
おはしまして興じさせ給ひつ
いとをかしき夜なり
藤相模も宿直にさぶらひにたり
夜ふくるほどに雪の降りたり



霜月十八日

管弦の宴あれば
おはしまして興じさせ給ひぬ
紅井倶輪、
いとめでたうものせさせ給ひつるを
聞き奉りたるにいとあはれなり
ふたたび聞くべき日のいつしか
とこそはべりつれなど申したり



霜月十九日

妙立寺などいふところに
詣でさせ給ひたるに
いとをかしきさまに造りなしたるを
御覧じてあはれに思し召しためり
あなた、こなたおはしまして
めでたきをばひとつおとさで
御覧じありかせ給ひたり



霜月二十日

ひぎゃうしてかへりおはしましぬ



霜月二十一日

管弦の宴あれば
興じさせたまひぬ
内教坊女蔵人、この年は
昼つかたに舞ひたれば
え御覧じぬことをば
いと口惜しがらせ給ひたれど
喜春楽、陪臚などいとめでたき舞をば
御覧じてめでたがらせ給ひぬめり
人あまたさぶらひぬ
めでたき御渡りなり



霜月二十三日

左兵衛督、とのゐにさぶらひぬ



霜月二十八日

徳川といふなる人のもたりつる
宝いとめでたしなど聞こし召して
忍びて出でさせ給ひぬ
右近中将、衛門督、少将さぶらひぬ
金などいとまばゆけれど
ことにをかしく造りなしたるとは
思し召さぬなめり
源氏物語絵などはいとをかし
衛門督とのゐにさぶらひぬ



霜月二十九日

いと寒ければ
御衣などひき重ねて
奉りたり
いと冬めかしくてをかし















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