院別当の君日記

平成十八年


長月 神無月


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長月一日

右近中将が御車に奉りて
忍びて御渡りあり

厚見命部より見え奉らばやと
思ひたるに忍びの御渡り
なくておはしますこそなど
かなしびて申しためり



長月三日

院にさぶらふ君達、
ことどとく山寺に詣でて
楽の御遊びをば
尽くしてむとしたるに
さしつどひてものすべきことども
さだめあはせたり
院、夜もふけぬるほどに
忍びてわたらせ給ひて
君達がさだめしことども
聞こし召したり
宣旨の君、少し病得たりときこゆ



長月四日

君達、山寺にて
皆あはせて舞をば舞はむとて
試みたるにうちあはせて
明日よりねむごろなりときこしめいて
うち笑ませたまひつ



長月五日

君達あひ具して詣でにけり
大殿籠らでおはしましたるに
つとめてまかでたるよし聞こし召して
おはしましつ



長月六日

山寺より文あまたおこし参りて
寺がさまなど申す



長月七日

君達つらげにぞきこゆる
院、いと後ろめたう思して
文やりなどしたるに
心やすからずおはします



長月八日

つとめて驚かせ給ひて
えあらじとて
忍びて山寺へぞまかでさせ給ひにたり
別当ばかりさぶらひて御衣にはかにて
大蔵といふところより
大宮がわたりに出でおはしまして
いととき御車にて信濃路におはしましにたり
神戸大蔵輔いでて御車にて待ちたるに
奉りて渡らせ給ひぬ
亜留美礼緒といふなる山寺に
着きおはしますに
心無き卑しき男二人の参りて
ただ籠もりてあることの苦しさに
いつしか帰らむとばかり思へ給ひはべり
許させたまへとのみ
泣く泣く申すを
ひとときえ忍ばで逃げむと
せむこそをこなれといと
怒らせ給へども
させよとばかり御許し給ひにたり
男、はかりて四人して
あやしき車にて帰りたれど
日をふるほどに心あさましう
無下にあやしうなりにけりと
聞こし召して御仏が罰なりと
人々言ひたるとかや

寺なる人みな籠り果てて
舞ひ楽の御遊びなど
ひひとひ尽くしたるに
いとめでたき心地にて
浄土はかくやとばかり
めでたかりぬ
院にも御覧じておはします
はた、御みづから
弾かせ給ふも
かたじけなきこと
かぎりなし
刑部大丞、小式部内侍など
さぶらひたる



長月十一日

高田小宰相
遠つ国にわたりたるに
見えたてまつりてむとて
のぼりて参りたり
院にまうづる日の
いつかよからむなど
御ふみあり



長月十三日

この頃義将衛門佐いとど心まさりて
めでたうなりにたりと
御覧じておはしますに
ことどとに御心得たるめり



長月十六日

外つ国よりいとめでたく
楽の音をばいだすとて
名にし負ふ武羅度女留度といふ
ありと聞こし召して
中の江の少納言参りて
御覧じたり
いとめでたきに
喜ばせ給ふ



長月十九日

御戒をば破りて
寺より出でしものの
もののけになりにたりとて
調伏のことありときこゆ
澤山大外記
みをつくしの弾正
大蔵輔、衛門督
義将衛門佐、少将
院宣旨
上下さしつどひて
御加持などのことしたるに
あしたより夜も更くるばかりにぞ
なりにけり



長月二十一日

夜語りにとて
中の江の少納言参りなむとしたるに
ものもうしたきことて
前左兵衛督さるべきならで
うち参りたれば
わりなく思し召したるこそわろけれ



長月二十三日

高田小宰相まうのぼりにたり
いとしどけなうおはしまして
もの語りなどて
あれこれなど語らせたまひぬ
右近中将、御車をば出して
少将さぶらひて忍びて
御渡りなどせさせたまひたり



長月二十七日

例の御所におはして
楽のうちあはせなどさせせ給ひぬ
弾正めでたき日ななりと聞こし召して
ものなどおろさせ給ひたり



長月二十八日

高田小宰相、遠つ国へ
下りたるよし文にて
聞こし召せば
心もとなういとほしう思しめしためり



神無月



神無月一日

緑内膳より文あり
三位中将にもみえたてまつらばやとなむ



神無月二日

波立ちたるなど尾張よりきこえし



神無月三日

女院が御姉の君、女院かくおはしますなど
御ふみあり



神無月四日

御心いと悩みおはしまして
うしろめたきことかぎりなし
衛門督、宿直したりぬ



神無月九日

女院に見え奉らせ給ひなむとて
御渡りておはします
御姉のおはしつ


















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