院別当の君日記

平成十九年


文月 葉月


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文月


文月一日

例の御所におはして
楽の御打合などせさせ給ひぬ

まさひろ前左兵衛督、御沓をば
奉りてむとて参りて奉れるに
黒革の御沓にてめでたきを
喜ばせ給ひぬ



文月二日

三日、外つ国より鼓をいとめでたう
打つてふ人渡りて来と聞きて
衛門督、これにまなばむとしたるに
やり、おこしなどしたる文の心得ぬこと多しとて
え会はずなりなむもこそなど
心さはぎたるを御覧じて
かうせよなど仰せたる
やうやう、未の刻ばかりに
あふよし消息ありとや
具礼呉利 波鎮遜とかいふなる

三知佳といふところに
楽人あまたゐたるに
ものおこりたるよし聞こし召して
ものせさせたまふよしおほせたり



文月五日

大蔵輔が車に奉りて
亀戸といふところに渡らせ給ひたり
衛門督、大蔵輔さぶらひて
調べあはすべき御試みなどせさせ給ひて
参りたる人に御手づからおしへなど
せさせ給ひたるこそをかしかりしか



文月六日

義将衛門佐、宿直にさぶらひぬ



文月七日

星あひとて殊にとて
楽の御遊びせさせ給ひつ

少し悩ませたまふところありとて
しるしあるときこゆる薬師など召したり



文月九日

御腹の御病がさまなど
見奉るべきずちすべしとて
内視鏡といふもの
飲ませ給ひぬ
御加持などあまたして
大殿籠りたるほどに
術したてまつりたれば
いと安くしはてたるめり



文月十四日

例の御所にていと事ごとしう楽の御遊び
せさせ給ふとて
君たちあまたものしたるに
ものすべきことあれば
昼つかた少し過ぎたるほどに
おはしまして衛門佐さぶらひたり
野分のちかうなりにたれば
風雨いたう吹きたるに
これせずはとて
宴などあり

藤相模、滝田相模介などもさぶらひぬ
藤相模の奉れる水菓子いとめでたし
いとあはれなる泉に緋の魚など
およぎて岩のさまなどもいとめでたう
つくりなしたるなり



文月十六日

昼過ぎぬるほど、
衛門督、早馬にて
もの申したきことありとて
聞こし召せば
院に隠しまいらせたることどもありとて
御心にそむきて侍りなど
あからさまに申せば
いと驚きおはしまして
何事にかなど問はせ給ひたり
遠方には聞くも難しとて
とくまいれとて召して問はせたまはむと
したるに御悩みさはりて
篤しう苦しげにおはしませば
ゆゆしきことかぎりなし



文月十七日

とのゐして衛門督さぶらひたるに
ものすさまじう物の怪憑きためれば
なのめにわりなきことども
申しつれば、いとど篤しくならせ給ひて
われかの御気色にて
今はただ少将を召せとおほせたり
いととう少将参りさぶらひて
ものしたれば
やうやう衛門督
ありしやうになりにたり
かく衛門督のあさましき様は
つゆみたることなし
なにによりてかなど
心安からぬ日なり



文月十九日

衛門督、かたじけなしとて
ひひとひさぶらひて
仕まつりたり



文月二十一日

義将衛門佐、とのゐにさぶらひつ



文月二十二日

村上陸奥介、申したきことどもありとて
忍びて御渡りあるほどに参りて
申したり



文月二十三日

衛門督、とのゐにさぶらひぬ



文月二十四日

少将、とのゐにさぶらひぬ



文月二十五日

少将、丑の刻過ぎぬるほど
夜の御殿ちかうさぶらひたるに
衛門督、少将に申しつるやう
とのゐのことども
なのめにおもひたまへつるなど申して
少将殿やいかになど問ひつることども
聞こゆれば
知ろしめさぬことにて
おどろかせ給ひて
文など遣はせ給ひつ
つとめて、衛門督、相模に
ありとてせうそこあり
昼つかた
申し開きをばきこしめさむと
させさたまふに
謀りたるよし御覧じつけて
問はせたまひたるに
はた、物憑きたるやうにて
せむかたなし
うち背き奉りてむとて
むげにわりなきことども
申せば、いと御心尽くさせたまひて
苦しげにて臥しおはしましぬ
今は限りとて
人の制し聞こゆるも
え聞こし召さでまかでたり
少将いといとほしがり奉りて
やすからずうしろめたければ
むまにさぶらひたり
相模国、朝溝のなにとかといふところに
おはしましつきぬ
衛門督いとあやしきまなにて
見奉るこそむくつけけれ
少将うち調じたるにしるしなし
我か人かの御気色に
のたまひおくことども
少将、義将衛門佐に
仔細をばのたまひたれば
義将衛門佐、馬、車など
風のごとくして参りさぶらへり
右近中将、このよし聞き給ひて
御車いと疾く走らせて
参りさぶらひぬ
中将、かへりおはしましぬべきよし
しひて申して、少将をして仕らせ給ひつ



文月二十六日

院にかへりおはしましつきて
右近中将、展久少将、衛門督、義将衛門佐さぶらひぬ
衛門督、物憑きためるほどに
まみいとあやしうにくげにて
申すことどもなべてなのめにわりなし
右近中将怒りたまひて
位階かへし奉るべきよしなど言ひて
いとま申していぬべしなどおほせたり
さぶらひたるひとびと、ことわりに
思ひたるに衛門督、あやしう
うち笑ひてそれこそよろしけれなど言ひぬ
あかつきばかり、右近中将
謀る心にいまは逃るとも、はた近く
いとどうきことどもいでくるばかりなり
ただ、今は限りにてとくいね
と言ひて出でたち給ひぬ
うち臥しておはします院、なにとはなしに
こぼれたる文ども御覧じつけて
なにぞと御覧じ入れたれば
背きてものしたる文ども
あまた出できたれば
いとど怒らせ給ひて
かうは謀るか
衛門督をば絶えてゆるすまじ
こは謀りたりしむくひなり
謀ればむくひなきことさらになしとしれ
とのたまひたるに
やをら衛門督ものもうさむ
さて来し道の久し
心かはりぬべしとは今こそ知りはべりつれ
など申しにたり



文月二十六日

御病いと篤しければ
日ひとひうち臥しておはします
右近中将、少将、衛門佐さぶらひたり
衛門督、つとまもり奉りて
中将にさるべきよし申して御許しをば
請ふめり



文月二十七日

御病、おこたらずおはします



文月二十九日

例の御所に宴あれば
しひていでさせ給ひたり

君たちあまたさぶらひていとめでたし
珠うち投げて立ちたるものうち倒すことあり
展久少将、義将衛門佐
身を尽くし弾正、院宣旨、大蔵輔
衛門督、若やかなる君達、女君
あまたさぶらひてめでたき宴なり



文月三十一日

ものすべきことどもあり
夏のことなどさだめたり
衛門督、とのゐに参れり



葉月



葉月四日

例の御所にうちあはせあり
まさひろ武蔵丞、調べあはせたり



葉月五日

忍びて御渡りあり
相模国に歌枕御覧ずとて



葉月七日

ものせさせ給ふことどもあり
御病、少しおこたりぬをば
嬉しと見たてまつりたり



葉月八日

山にまうでむと思し召して
御渡りあり

つとめて大蔵輔が車に
奉りて、衛門督、大蔵輔
などさぶらひて、
若き君達、女君もさぶらひたり

氷川といふなる所につきて、
おはしますわたりよりは
いと涼しげに暑からずあるこそよけれ

清水流れ出でたる音いとめでたかりぬ
上下あまたさぶらひてめでたき宴あり
若き人々あざけりあへるもをかしと御覧じたり

かへりおはしますほど、義将衛門佐、松の何とかといふ
男君さぶらひぬ

若松といふ院に寄りおはしまして
少しやすらはせたまふもあはれなり
空蝉のいたう鳴くもあはれなり



八月九日

臨時の除目あり
義将衛門佐、左兵衛督になり給ひぬ
よろこびまうすとて院に参りて
さて宿直(とのゐ)にさぶらひぬ
萌黄直垂たまはりぬ



八月十一日

衛門督とのゐにさぶらひぬ




葉月十四日

義将左兵衛督さぶらひて
楽のうちあはせにとて
御渡りあり



葉月十六日

潤衛門督、信濃国に詣でむとて
下りけるに、着きたるよし
その国のさまなど文おこせたり



葉月十七日

三位右近中将、陸奥に
歌枕見にとて下り給へるに
桑折などいふところに
つき給ひたりけるなど御文あり



葉月十八日

参籠せさせたまはむと
思しめしたるに
君達さぶらひて
まうくべきよしなど
はた、その程
人々舞などものせむとするに
試みのことなど言ひあへり



葉月十九日

刑部、とのゐしたるより
朝、小衛門とものするとて
小衛門と遊びたるよし
消息あり



葉月二十日

厚見命婦より文あり
飼ひたる猫の
いと暑ければ少し病がちなりとや



葉月二十三日

君達あまた参籠せむとて
信濃国に下りにたり
院、しのびて二十六日ばかりに
おはしまさむとすれば
つくしの弾正弼(だんじょうのひつ)、展久少将、
潤衛門督、義将左兵衛督、
神戸大蔵輔、宮辺院宣旨(みやのべのいんのせんじ)
澤山大外記などあまたまかでて、
まうけなどせむとて
けいめいしたり



葉月二十四日

夕さりつかた
今参りにとてものしたるとかや



葉月二十六日

小式部内侍さぶらひて、
はた、あづかりにとてまさひろ武蔵丞さぶらひて
しのびて出でさせ給ひぬ
昼つ方、信濃国におはしましつきて
神戸大蔵輔仕りて、御車がうちに
奉りて或美礼尾といふなる所に
おはしましつきぬ

夜さり、君達あまたいとめでたき
舞をば舞にたれば
あるかぎり袖を濡らしたり
御覧じて、
いと興あることに思しめして
うちとけてもてなさせ給ひたり
いといとめでたき夜なり



葉月二十七日

楽をば納めむとて
あるかぎり調べ合はせたり
めでたきことかぎりなし



葉月二十八日

参籠し果てておはしませば
みな具してかへりおはしましたり



葉月三十日

潤衛門督、義将左兵衛督さぶらひて
長月の船遊びのことなど申したるをば
きこしめしたり















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