花の忍び




 常の年よりははやう、
 花のいたうめでたく咲きにければ、

  
 院にも御花見せさせたまはばやと
 思し召しければ、
 右近中将、承りて
 まうけし給ひけるに、
 院、

  「このたびは、人々少なにて行きてしがな
   心にまかせてあなたこなたのがり
      行かむとするに しのびて」

 とのたまひにけり
 とみにのたまひ出だしけることなりければ、
 右近中将

  「人には伝えずはべらむ
   もし伝え侍らむに、方々にても
   ものすべき事なむはべれば、
   さぶらはむ人もさは多からず侍るめり」

と申しければ、「むべなり」
とておはしましけり


 この院、いと色をば
好ませ給ふことの名に
聞こえければ、
「かかることありぬべし」
と思ひける人々

  「院わたりには、
   花を御覧じにとて
   いつしかまかで
    させ給ふらむ」

 と心もとながりて
 待ちてければ、
 
あからさまなりける院の行啓にても、
まうけこそし果ててあめりけれ


 
 さは、思し召さで
 「いで」とて
 つとめて、
 御輿には奉らで、
 御車に忍びて
 まかでさせ
 給はむと
 せさせ給ひけるに、
 式部卿を
 はじめ奉りて、
 右大将、権少将、
 宰相の君、
 別当小式部内侍、
 内膳の君など
 女君さへ、
 御門にて車を立てて
 待ちゐ給ひけり

  


いと驚かせ給ひつつも知らず顔にて
御車の下簾の内に隠れおはしまして、
右近中将、車毎に

「かう車をば立てて、いづくへは行かむとし給ふぞ」

   と問はせさせ給ひければ、宰相の君、





「うぐひすの 春の霞に しのびつつ
                 鳴きもせでたつ あとをこそ見め」



 と聞こえければ、
 
ある限り、笑ひ出ださむばかりなりけるを
 うち念じつつ恨み声にて車毎に

  「ひと声鳴くをだに聞きはべらむ」
  「春告ぐるを聞き侍らずは」


 
など聞こえ給ひけり

  
院「いかでかはすべき」とて
    具して出でさせ給ひけり


 「しのびて」と思し召しければ、
 院の奉りける御車などは例のにはあらで
 網代車にて、さぶらひける人も
 「忍びて己のみ」とて
 かう多く人の渡り来たるとは
 さらに思ひ給はで、
 あやしき車にてさぶらひ給ひければ、
 行啓の御景色いとことやうなりけり

 あまたの花いとめでたく咲きたりける
 山里におはしまし着きて、
 様々に遊ばせ給ひけるに、
 右近中将のわりなきこともこそとて
 制し聞こえ給ふを聞こし召さで、
 院、徒歩より山里に分け入らせ給ひて、
 めづらしがらせ給ひて

 「この花、殊にめでたし」「あれは何ぞ」

 とておはしましけるを見奉りて、


 権少将


「花とひに うぐひすぞ鳴く
   山里の 春きにけりと 里人や見む」



 など一人ごち給ひけるを、
 別当小式部内侍の聞き給ひて、
 車の内ながら詠み給ひける



「うぐひすの 世をしのびつつ 
  音をなけば ゆかしさまさる 春の山里」

式部卿、いとめでたく咲きける桜の下に、
ゆるるかにもたせ給ひて、

「うぐひすに音合はすべし」とて
 御笛などものし給ひけるも
 いとあはれなりけり



この院の行啓、遊び、はたさぶらふさへ、
なべていとあはれにをかしくも
例には異様なりけり