《自己紹介と御挨拶にことよせて》

ようこそ「承香院 国風文化実践研究会」のホームページへお越しくださいました。「会」・「ホームページ」をともに管理しております承香院(じょうこういん)と申します。

「五感で感じる・実感として知る」をモットーとしております。

何事も「経験・実体験」を以て知るのが最も良いと考えております。

机上の学問だけでは、頭で理解できても「実感」として理解することができません。例えとしては不適切かもしれませんが、例えば、「痛み」という感覚について、

「冬の寒い朝に、足の小指を何かの角に思い切りぶつけたくらい痛い」

とあってもそれを経験したことのある人とない人では、その「痛み」に対する理解は月とすっぽんだと思われます(笑)

「痛み」はさておき、国風文化実践研究会では「文化(メインは平安を中心とした国風文化)を楽しみながら実践し、身体と頭と両方で理解しよう」という欲張りな会です。そうしたいくつかをこちらのサイトで御紹介しようということですので、是非ごゆるりとご覧くださいませ。また、興味を持っていただけたら御気軽に参加・実践していただければと思います。

 当サイトでは、すでに多く出版物などで紹介されているものについてもあまり鵜呑みにしないことを心がけています。ですから、ある意味ではいわゆる「定説の知識を増やす」ということには役立たないと思われます。どちらかというと「知識」を『利用』して「生きた文化」を味わい深めていくという方向に力を注ぎたいと思います。

ですから「何も知らないけど、興味がある・体感してみたい」
というようなスタンスは大歓迎です。

文化全般に言えることだと思いますが、私は、文化とはそもそも「美しいものに触れたい」「おいしいものを食べたい」「美しい音を聴きたい・奏でたい」「楽しみたい」というようなごくシンプルな「気持ち」からはじまるものだと思います。

私個人の考えとしては、書物で(頭では)沢山のことを知っていても、実践・経験などの「体感」をしたことがない、というような状態こそが、問題だと考えます。


「服飾」で平安時代を考えてみたとき、多くの書籍や古典の現代語訳・註などに見られる「平安装束や服飾の解説」には、「平安の『日常』の感覚を著しく欠いているのではないか」と思われてならないものがかなりあります。

当時、どの種類の衣類を着ているかは身分にもよるでしょうが、少なくとも当時の彼らは当然「毎日和服」です。
言ってしまえば、24時間装束を着ているのです。そして、『毎日』いわゆる装束を着ていることは絵巻や日記を見ても明らかなことです。

つまり、当時の「服飾」を考えるとき、それが「日常」「毎日」であったことを忘れてはならないのです。

筆をとって文字を書く時、物を食べる時、トイレに行く時、恋人の家から早朝にそっと帰るとき、外出時に突然の雨に降られたとき、女房が染物をするとき、ふざけて踊るとき(笑)等すべてそうなのです。

墨を摺って文字を書かれる方はよく感じられることだと思いますが、墨で文字を書くと以外に墨が飛び散ったりして、汚れます。そんな時も平安の貴族は束帯の袍や白い袿を着て作業をしていたりするわけです。

この観点から、例えば、いわゆる「平安装束」を考えてみたとき、はたして現在解釈されているような状態や、説明にある着付け等でそれらができるでしょうか。束帯などは、当時の官人にとっては仕事着です。体調の悪くトイレが近くても仕事中は着ていなくてはいけません。こうした視点は非常に重要です。

現代の我々からすると「装束は時々着るもので特別なもの」または「あるワンシーンしか着ていることを想定できない」というものです。

さらには、その固定観念で、現代の「装束は特別な着物」という概念を単純に平安に当てはめてしまう、という最も基本的なミスにすら気づいていない解説や説明も散見されます。

平安時代の貴族の日常着である直衣や袿などにおいては、着にくいもの、堅苦しいものであってはならないのです。
もちろん当時の貴族の行動様式・生活様式での話です。
現代の私たちからすれば、家の構造も部屋の構造も異なるので、いわゆる和服でも活動しにくいことはいうまでもありません。

このように、文化の核とも言える部分は、実践と体験のような、実感に基づく理解をもってしなければ避けられないものではないかと思うのです。
 

余談ですが、昔、近所に住んでいたおじいさんが、ちょっと大事な外出の時には洋服を着て必ず帽子を被って出かけられ、家に帰って散歩などされる(くつろいでおられる)時には和服で過ごされていたのを思い出しました。「慣れ」によって私たちには洋服こそが「楽な服装」という感覚がしみついてしまっているのだなと思いました。

さらに、もうひとつ。これらの「和」の文化について、たまに個人的に気になることがあります。

それは、「ただの希少価値の高さ」で日本文化を良いものと説明したり、文化の知識を自己顕示の道具としてのみ使用しているような光景に出くわすことがあることです。

こんなことをしていては、その文化が過去の遺産、または、めったにないから良いというような「希少価値でしかないもの」になってしまうからです。

「なんともったいない」と感じられてなりません。
ちらと目にされる方もおいでかもしれませんが、日本の文化を紹介するに当たって、わざわざ金額強調して示し、特に高価さをアピールして「文化を利用して自分の裕福さや優位性を主張しているのでは?」と思われるようなものまでも目にしたことがあります。
歴史的には実際に、文化がそのような役割をしたこともあると思いますが、現代でそのような用途として文化を用いることがあるとすれば、少なくとも、それは私の趣味ではありません。

そもそも、私は文化と呼ばれるものは、全般的に幅のあるものだと考えています。人によって様々な捉え方ができるという意味です。

「価値のある文化」といわれるもので「ここのものだけが本物」「これだけが良いもの」というような「極端に価値を限定しようとする」ものを見たことも聞いたこともありません。

例えば、音楽や衣類をとっても様々な解釈や価値があるにもかかわらず、奏法や紋様などについて「これしかない。その他はすべて間違っている!これにあてはまらないものは正しくないのだ!」「うちのものだけが本物だ!」というような「怒り」にも似た主張を目にすると、「毎日それらを実用のものとして使っていた王朝貴族はなんと言うだろうか。」と滑稽にすら感じられることもあります。



思わず話が横道にそれてしまいましたが、そんなこんなで、現代においては、なかなか実践することが不可能なものもありますが、できるものについては積極的に行い、古典文学を「等身大のものとして楽しみ、理解し、味わう」ことに努め、「文化を実感として理解すること」ができたらということを常に忘れないで取り組んでおります。

先日、友人が「平安時代」を舞台にした映画を見て、「自分の国というより外国を訪れた時の、もの珍しさを感じたよ」と話していました。

自国の古来の風物を「外国」のように感じてしまうというのは、なんとも寂しい時代だと思いました。

そういう意味でも、私は、実践・体験をメインとして、自分の生まれ育った国の美しい古来の文化に触れていきたいと思います。また、そうした昔の姿を明らかにしていきたいと考えております。

それは、すなわち文学、考古学などジャンルを超えた研究になるということでもあります。得意な各々の分野の知識を持ちよって議論、実践、研究することでいくつもの発見や感動があるものと確信しております。
 

最後に、様々な試みをしたり実践をする上で、大変多くの方の御協力や御厚意をいただいております。
そうした方々へもこの場をお借りして御礼申し上げます。また、身勝手なお願いではありますが、今後ともなにとぞよろしくお願い申し上げます。

最後までお読みくださりありがとうございました。 

 

                          

 

2004年 平成16年4月15日 <旧暦 閏2月26日>

 

                        承香院